ノンサー大学生

東京の西の方にある国立大学から発信中

150306

 昨日委員会の何人かとご飯に行って聞いた新たな意見。

 

 私は自分が不妊だったり相手がそうだとしたら、ぜったいに不妊治療までして子供を産もうとは思わない。それは、自然の摂理に反して生まれてきた子どもって…って思ってしまうからだ。

 しかしある一人は、人間の子孫を残そうとする本能に従っているから自然の摂理に反しているとは言わないのでは?という考えを持っていた。

 

 なるほどー!

150215

 朝八時、タイマー鳴って起きたらすぐチャイム。寝起きのひどい声で対応したら、彼でした(笑)寮にいたくなく、部活サボって一人旅に出ようとしたら、ちょうど直通が来たから「これは行くしかないな」とのこと。びっくり。

 最近、ほんとに依存が甚だしいようだ。毎日暇で刺激が少なく、彼にすべてを求めてしまうのか。書いてて恥ずかしいが、事実だ。

 もうすぐバイトが終わるから新たに探そうとしたけど、やっぱり深夜0時を超えるのは、年頃の女の子にはよろしくないみたい。そうすると何のバイトがあるかというと、塾講やかてきょ。飲食は体力的にきつい。カフェならいけるか…。

 この依存状態をやめたい。なにか熱中しなくちゃいけない。TOEIC850点を目指すって言っていたのに、この有様。ぜんぜん進んでない。明日から勉強します。

 ゲームなら熱中できるのだが、この世の中は「ゲームは悪」という考えを持つ人が多くて困る。何が悪いのか。確かにやりこんだって将来にはつながらない。完全に娯楽だ。でも趣味でやってるスポーツや楽器と何が違うのか。何も変わらないはず。だって、スポーツも楽器もプロをめざしてるわけではないでしょ。将来につなげるつもりないでしょ。お金の無駄だとかゲーム言われそうだけど、よっぽどスポーツ用品とか楽器のほうが、ひとつひとつの値段高いから。ほーら、ゲームだって立派な趣味のひとつに入れるべきでしょ。

150214

 昨日見たポニョより。ネットには様々な解釈があるけど、それは広い知識があるからこそ書けることで、何かを深く楽しむには関係なさそうな知識も必要だと思った。ブリュンヒルデもFFに出てきたから名前を知っていただけだし、何者なのかも知らなかった。もしその名前を知ったその時点で調べていたら、はじめてポニョを見たとしても少しは深読みができたはず。図書館行くべしですね。

2月13日

 部活で辞める人が続出しているが、それを止めようとする人の考えが理解不能。「インターンとか留学とか行って、その後のビジョンなんて何も分からねーじゃん」ってことで辞める人を責めたりするらしい。でもおかしいだろ。逆でしょ。「部活にすべての時間を費やしてその後のビジョンは何かあるんですか。プロになるつもりですか。そんなにあなたは上手なんですか」よっぽどインターンとか留学とかやったほうが、将来に役に立つはずだ。様々な人に出会い新しい意見を聞き自分の考えを深めていく。部活は毎年一年生が入ってくるとしても、狭い世界であって、見聞を広めることは不可能のようである。その狭い世界から出ようとしている人を邪魔しないであげてほしい。

 また、辞める人を引き留めることがおかしい理由として、モチベーションの低い人をそのチームの中に入れておくことのほうがチームにとって悪影響なのではないかと考えるからだ。もうその人はチームのために戦うつもりは無い。一番いらない人材ではないか。

 やめようとする人を引き留めるのは、簡単に辞めることができるようになってしまうとどんどんみんなが辞めていく可能性があるからだろう。みんな少なからず辞めたいという気持ちを心の隅に抱えているのではないか。そこで誰かが簡単に辞めていくのを見て、その気持ちが大きくなってしまうのを感じているのだろう。みんな変に馬鹿でその部活に魂を注ぐことが使命だと思っているから、その辞めたいという気持ちを否定し部活だけに時間を使っている自分を肯定しようとしているのだろう。自分の気持ちに素直になってはならないのかな。

2月12日

 近くの公園で練習があるらしいので、散歩がてらに見に行った。やっぱりマネージャーって謎だわと思った。自分たちは主役になれず、男子をサポートし続ける根性、すごいです。私は真ん中にいけないとわかったら、嫉妬に押しつぶされる前に即効逃げるから。

 夜は引っ越し祝い。そこでもマネージャーの異質な面を聞いた。その子以外のマネージャーはプレーヤーを見下しているらしい。どうせお前らは集合離散が遅いんだろ、とか。きっと彼女たちは、ほとんどの家事を行っていた私のような気持ちであるんだろう。「こんなに仕事してやってのによ、んだよお前らは…」って感じなのではないか。うまく言葉にできないが、見下しているわけではない気がする。

日記

 容姿至上主義を目の当たりにし、今まで揺るがなかった「人間は中身だ」という考えに疑問を抱き始めた。人間の印象の大部分を見た目が占める。だから、外見が良ければそれでいいのだ、という考え方もありなのか。

 しかし、そこまで容姿至上主義を突きつけられると、逆にどんどん中身に自信がなくなっていく。見た目だけで、空っぽだ。何も残してきてもいない。性格が良いわけでもない。頭がすごくいいわけでもない。運動はできない。容姿至上主義を言う彼は、中身がつまっている。それもあって、私はどんどん虚無感に苛まれる。

 その容姿至上主義を受け入れても、また苦しむ。そこまで私の容姿は優れていない。まわりにミスコンが多すぎる。どうしよう、何もなくなってしまうじゃないか!

 

 ということで、自分は空っぽではないってことを証明していくために、毎日少しずつ考えたこと思ったことを書いていくことにする。

信じ切ってしまえ!

好きであるほど、相手を信じることができなくなることってありますよね。

「今日は飲み会だから~」「みんなでオールしてくる~」とか言われても、

「行ってらっしゃい!」と言いますよ。

でもね、実はものすごく不安なんです。お酒が入ったら…ほかの女が…やらかすんじゃないか……

でもでも、「行くな」っていうのは束縛が強いって世間では言われてしまったりするみたい。

好きなら相手を信じろよ!ってなりそうだけど、大好きだから相手との別れがすごく怖くて、大好きだから別れにつながる事が起きてしまわないかとビビるんです。

 

しかし、信じてしまうほうがめちゃくちゃ楽なんですよね。

こっちはものすごく信じてたんだから、裏切られたとき一気に冷めるはず。未練なく気持ちよく別れることができるんじゃないかしら。